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直子との3年間

僕が、中学時代に熱中したアーティストのひとりが、野沢直子だ。
好きで好きで好きで、しかたがなかった。



テレビは、片っ端からみてたし、雑誌に出れば買ってたし。
映画に出たら観にいくし、CDももちろん買ってた。
実家(徳島県)の僕の部屋の壁には、絵の具で「野沢直子」となぐり書きされたあとが、今も残ってる。


僕が中学に入学した翌月、1988年5月に発売されたのが、デビューアルバム『はなぢ』。
最初、レコードで買って、CDでも買いなおした。

『はなぢ』のジャケットは、何枚もコピーして、文庫本のカヴァにしてた。
あと、拡大コピーをくりかえして、1メートルくらいの巨大ポスターを作って、壁に貼ってたり。


『はなぢ』から3ヶ月後、中1の夏。
直子が徳島にやってきた!

その年の日本テレビ 24時間テレビ、野沢直子とケント デリカットが地方を回ってて。
徳島の唯一の放送局である四国放送にやってきたのだった。
放送のあと、出待ちをしてて、四国放送の裏で握手をしてもらった。


映画『帝都大戦』は、中2のとき。
南果歩の友達のおっちょこちょいナース役の銀幕の直子は、蜂の巣になって白目をむいて死んだ。


MBSヤングタウンは、かかさず聴いてた。
根元要、笑福亭笑瓶、直子の3人の番組。
2時間の番組は、毎回録音。
曲とCMを抜いた90分ヴァージョンに編集して、翌週まで、くり返し聴く。
この番組の影響で、スターダスト レヴューの曲も、よく聴いてたな。


アルバムは、『はなぢ』のあと、『ふかづめ』、『トン吉 チン平 カン太』。
で、中学3年の秋、1990年10月に、4枚目『生理でポン』が発表された。
そして・・。


突然、芸能界を引退することを発表。
1991年3月いっぱいで。
僕の中学卒業と同時に。
すべての番組を降板して、そして、アメリカに渡るのだという・・。


1991年4月1日、月曜夜。
直子の日本での最後の仕事は、MBSヤングタウンの生放送だった。
いつも、直子は涙もろくてすぐに泣くのに、この日の最後は、涙はなかった。


そして、僕の前から、直子がいなくなってしまったのだった。


僕の直子の思い出は、中学時代の3年間と、見事に重なってる。
直子に関する記憶は、中学時代にしか、ない。



僕が、中学を卒業して、ちょうど20年。
つまり、直子がアメリカに渡って、ちょうど20年なんだよね。
誰も、そんなこと、気づいてはいないけど・・。



最近は、毎年夏の、日本への出稼ぎが恒例化している。
今日、日本へ向け、出発したらしい。
by ishokuju | 2011-06-15 06:46 | あの日
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